りだ》す躰《てい》は、嘴《くちばし》長《なが》い鷺《さぎ》の船頭《せんどう》化《ば》けたやうな態《さま》である。
雪枝《ゆきえ》は、しばらく猶予《ためら》つた。
「仮《かり》にも先生《せんせい》と呼《よ》んだ貴下《あなた》に向《むか》つて、嘘《うそ》は言《い》へません。……一度《いちど》来《こ》やう、是非《ぜひ》見《み》たい。生《うま》れない以前《いぜん》から雪枝《ゆきえ》の身躰《からだ》とは、許嫁《いひなづけ》の約束《やくそく》があるやうな此《こ》の土地《とち》です。信者《しんじや》が善光寺《ぜんくわうじ》、身延《みのぶ》へ順礼《じゆんれい》を為《す》るほどな願《ねがひ》だつたのが、――いざ、今度《こんど》、と言《い》ふ時《とき》、信仰《しんかう》が鈍《にぶ》つて、遊山《ゆさん》に成《な》つた。
其《それ》が悪《わる》かつたんです……
家内《かない》と二人連《ふたりづれ》で来《き》たんです、然《しか》も婚礼《こんれい》を為《し》たばかりでせう。」
盃《さかづき》を納《をさめ》るなり汽車《きしや》に乗《の》つて家《いへ》を出《で》た夫婦《ふうふ》の身体《からだ》は、人間《にんげん》だか蝶《てふ》だか区別《くべつ》が附《つ》かない。遥々《はる/″\》来《き》た、と言《い》はれては何《なん》とも以《もつ》て極《きまり》が悪《わる》い。気《き》も魂《たましひ》もふら/\で、六十余州《ろくじふよしう》、菜《な》の花《はな》の上《うへ》を舞《ま》ひ歩行《ある》いても疲《つか》れぬ元気《げんき》。其《それ》も突《つゝ》かけに夜昼《よるひる》かけて此処《こゝ》まで来《き》たなら、まだ/\仕事《しごと》の手前《てまへ》、山《やま》にも水《みづ》にも言訳《いひわけ》があるのに……彼方《あつち》へ二晩《ふたばん》此方《こつち》へ三晩《みばん》、泊《とま》り泊《とま》りの道草《みちくさ》で、――花《はな》には紅《くれなゐ》、月《つき》には白《しろ》く、処々《ところ/″\》の温泉《をんせん》を、嫁《よめ》の姿《すがた》で彩色《さいしき》しては、前後左右《ぜんごさいう》、額縁《がくぶち》のやうな形《かたち》で、附添《つきそ》つて、木《き》を刻《きざ》んで拵《こしら》へたものが、恁《か》う行《い》くものか、と自《みづ》から彫刻家《てうこくか》であるのを嘲《あざ》ける了見《れうけん》。
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