れ》も増《ま》さない。で、足《あし》を運《はこ》ぶ内《うち》に至《いた》り着《つ》いたので、宛然《さながら》、城址《しろあと》の場所《ばしよ》から、森《もり》を土塀《どべい》に、一重《ひとへ》隔《へだ》てた背中合《せなかあ》はせの隣家《となり》ぐらゐにしか感《かん》じない。――最《もつと》も案内《あんない》をすると云《い》ふ老爺《ぢい》より、坊主《ばうず》の方《はう》が、すた/\先《さき》へ立《た》つて歩行《ある》いたが。
 時《とき》に、真先《まつさき》に、一朶《いちだ》の桜《さくら》が靉靆《あいたい》として、霞《かすみ》の中《なか》に朦朧《もうろう》たる光《ひかり》を放《はな》つて、山懐《やまふところ》に靡《なび》くのが、翌方《あけがた》の明星《みやうじやう》見《み》るやう、巌陰《いはかげ》を出《で》た目《め》に颯《さつ》と映《うつ》つた。


       四五六谷《しごろくだに》


         四十三

「叱《しつ》!」
と老爺《ぢい》が警蹕《けいひつ》めいた声《こゑ》を、我《われ》と我《わ》が口《くち》へ轡《くつわ》に懸《か》ける。
 トなだらかな、薄紫《うすむらさき》の崖《がけ》なりに、桜《さくら》の影《かげ》を霞《かすみ》の被衣《かつぎ》、ふうわり背中《せなか》から裳《すそ》へ落《おと》して、鼓草《たんぽゝ》と菫《すみれ》の敷満《しきみ》ちた巌《いは》を前《まへ》に、其《そ》の美女《たをやめ》が居《ゐ》たのである。
 少時《しばらく》、一行《いつかう》は呼吸《いき》を凝《こ》らした。
 見《み》よ! 見《み》よ! 巌《いは》の面《めん》は滑《なめら》かに、質《しつ》の青《あを》い艶《つや》を刻《きざ》んで、花《はな》の色《いろ》を映《うつ》したれば、恰《あたか》も紫《むらさき》の筋《すぢ》を彫《ほ》つた、自然《しぜん》に奇代《きたい》の双六磐《すごろくいは》。磐面《ばんめん》には花《はな》を摘《つ》んだ、大輪《だいりん》の菫《すみれ》と鼓草《たんぽゝ》とが、陽炎《かげらふ》の輝《かゞや》く中《なか》に、鼓草《たんぽゝ》は濃《こ》く、菫《すみれ》は薄《うす》く、美《うつく》しく色《いろ》を分《わか》つて、十二輪《じふにりん》、十二輪《じふにりん》、二十四輪《にじふしりん》の駒《こま》なるよ……向《むか》ふ合《あ》はせに区劃《くぎり》を隔《へだ》て
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