さぶくろ》を敲《たゝ》いて言《い》つた。
『すかりと斬《き》れるぞ。残《のこ》らず貸《か》すべい。兵粮《へうらう》も運《はこ》ぶだでの! 宿《やど》へも祠《ほこら》へも帰《かへ》らねえで、此処《こゝ》へ確乎《しつかり》胡座《あぐら》を掻《か》けさ。下腹《したはら》へうむと力《ちから》を入《い》れるだ。雨露《あめつゆ》を凌《しの》ぐなら、私等《わしら》が小屋《こや》がけをして進《しん》ぜる。大目玉《おほめだま》で、天守《てんしゆ》を睨《にら》んで、ト其処《そこ》に囚《と》られてござるげな、最惜《いとをし》い、魔界《まかい》の業苦《がうく》に、長《なが》い頭髪《かみのけ》一筋《ひとすぢ》づゝ、一刻《いつこく》に生血《いきち》を垂《た》らすだ、奥様《おくさま》の苦脳《くなう》を忘《わす》れずに、飽《あ》くまで行《や》れさ、倒《たふ》れたら介抱《かいはう》すべい。』
雪枝《ゆきえ》は満面《まんめん》に紅《くれなゐ》を濯《そゝ》いで、天守《てんしゆ》に向《むか》つて峯《みね》より高《たか》く握拳《にぎりこぶし》を衝《つ》と上《あ》げた。
『少《わか》いものを唆《そゝの》かして要《い》らぬ骨《ほね》を折《を》らせるな、娑婆《しやば》ツ気《け》な老爺《おやぢ》めが、』
と二人《ふたり》の背後《うしろ》にぬいと立《た》つた……
苔《こけ》かと見《み》ゆる薄毛《うすげ》の天窓《あたま》に、笠《かさ》も被《かぶ》らず、大木《たいぼく》の朽《く》ちたのが月夜《つきよ》に影《かげ》の射《さ》すやうな、ぼけやた色《いろ》の黒染《すみぞめ》扮装《でたち》で、顔《かほ》の蒼《あを》い大入道《おほにうだう》!
振向《ふりむ》いた老爺《おやぢ》の顔《かほ》を瞰下《みお》ろして、
『覚《おぼ》えて居《ゐ》るか、暗《やみ》の晩《ばん》を、』と北叟笑《ほくそゑ》みした頬《ほゝ》が暗《くら》い。
人《ひと》さし指《ゆび》
三十九
『おゝ、御坊《ごばう》?』
『何日《いつ》かの晩《ばん》の!』
雪枝《ゆきえ》と老爺《ぢい》は左右《さいう》から斉《ひと》しく呼《よ》ばわる。
『御身《おみ》も其《そ》の時《とき》の少《わか》い人《ひと》な。』と雪枝《ゆきえ》に向《む》いて、片頬《かたほゝ》を又《また》暗《くら》うして薄笑《うすわら》ひを為《し》た。
『血気《けつき
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