《そ》の小刀《こがたな》の輝《かゞや》くまゝに、恰《あたか》も鰭《ひれ》を振《ふる》ふと見《み》ゆる、香川雪枝《かがはゆきえ》[#「香川雪枝《かがはゆきえ》」はママ]も、さすがに名《な》を得《え》た青年《わかもの》であつた。
と此《こ》の老爺《ぢゞい》と雪枝《ゆきえ》とが、旭《あさひ》に向《むか》つて濠端《ほりばた》に小刀《こがたな》を使《つか》ふ。前面《ぜんめん》の大手《おほて》の彼方《かなた》に、城址《しろあと》の天守《てんしゆ》が、雲《くも》の晴《は》れた蒼空《あをぞら》に群山《ぐんざん》を抽《ぬ》いて、すつくと立《た》つ……飛騨山《ひださん》の鞘《さや》を払《はら》つた鎗《やり》ヶ|嶽《だけ》の絶頂《ぜつちやう》と、十里《じふり》の遠近《をちこち》に相対《あひたい》して、二人《ふたり》の頭上《づじやう》に他《た》の連峯《れんぽう》を率《ひき》ゐて聳《そび》ゆる事《こと》を忘《わす》れてはならぬ。
件《くだん》の天守《てんしゆ》の棟《むね》に近《ちか》い、五階目《ごかいめ》あたりの端近《はしぢか》な処《ところ》へ出《で》て、霞《かすみ》を吸《す》ひつゝ大欠伸《おほあくび》を為《し》た坊主《ばうず》がある。
双六盤《すごろくばん》
三十七
雪枝《ゆきえ》は合掌《がつしよう》して跪《ひざまづ》いた。
渠《かれ》の前《まへ》には、一座《いちざ》滑《なめら》かな盤石《ばんじやく》の、其《そ》の色《いろ》、濃《こ》き緑《みどり》に碧《あを》を交《まじ》へて、恰《あだか》も千尋《せんじん》の淵《ふち》の底《そこ》に沈《しづ》んだ平《たひら》かな巌《いは》を、太陽《ひ》の色《いろ》も白《しろ》いまで、霞《かすみ》の満《み》ちた、一塵《いちぢん》の濁《にご》りもない蒼空《あをぞら》に、合《あは》せ鏡《かゞみ》して見《み》るやうな……大《おほき》さは然《さ》れば、畳《たゝみ》三畳《さんでふ》ばかりと見《み》ゆる、……音《おと》に聞《き》く、飛騨国《ひだのくに》吉城郡《よしきごふり》神宝《かんたから》の山奥《やまおく》にありと言《い》ふ、双六谷《すごろくだに》の名《な》に負《お》へる双六巌《すごろくいは》は是《これ》ならむ。巌《いは》の面《おもて》に浮模様《うきもやう》、末《すそ》を揃《そろ》へて、上下《うへした》に香《かう》の図
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