方《こなた》へ尾《を》を向《む》けてのそりと行《ゆ》く。其《そ》の図体《づうたい》は山《やま》を圧《あつ》して此《こ》の野原《のはら》にも幅《はゞ》つたいほど、朧《おぼろ》の中《なか》に影《かげ》が偉《おほき》い。其《そ》の背中《せなか》にお浦《うら》の像《ざう》が、紅《くれなゐ》の扱帯《しごき》を長《なが》く、仰向《あふむ》けに成《な》つて柔《やはら》かに懸《かゝ》つて居《ゐ》る。」
三十五
「破《やぶ》れ傘《がさ》の車《くるま》では、別《べつ》に侮《あなど》られ辱《はづかし》められるとも思《おも》はなかつたが、今《いま》牛《うし》の背《せ》に懸《か》けられたのを見《み》ると、酷《むごた》らしくて我慢《がまん》が出来《でき》ない! 木《き》を刻《きざ》んだものではあるが、節《ふし》から両岐《ふたまた》に裂《さ》かれさうに思《おも》はれて、生身《なまみ》のお浦《うら》だか、像《ざう》の女《をんな》だか、分別《ふんべつ》も着《つ》かないくらゐ。
『あツ、』と叫《さけ》んで、背後《うしろ》から飛蒐《とびかゝ》つたが、最《も》う一足《ひとあし》の処《ところ》で手《て》が届《とゞ》きさうに成《な》つても、何《ど》うしても尾《を》に及《およ》ばぬ……牛《うし》は急《いそ》ぐともなく、動《うご》かない朧夜《おぼろよ》が自然《おのづ》から時《とき》の移《うつ》るやうに悠々《いう/\》とのさばり行《ゆ》く。
しばらくして、此《こ》の大手筋《おほてすぢ》を、去年《きよねん》一昨年《おととし》のまゝらしい、枯蘆《かれあし》の中《なか》を縫《ぬ》つた時《とき》は、俗《ぞく》に水底《みづそこ》を踏《ふ》んで通《とほ》ると言《い》ふ、どつしりしたものに見《み》えた。背《せな》の彫像《てうざう》の仰向《あふむ》けの胸《むね》に采《さい》を握《にぎ》つた拳《こぶし》が、苦《くるし》んで空《くう》を掴《つか》むやうに見《み》えて堪《た》へられない。
後《あと》を喘《あへ》ぎ/\、はあ/\と呼吸《いき》して続《つゞ》く。
「其《そ》の牛《うし》が、老爺《おぢい》さん、」
と雪枝《ゆきえ》は聞《き》くものを呼懸《よびか》けた。
天守《てんしゆ》の礎《いしずゑ》の土《つち》を後脚《あとあし》で踏《ふ》んで、前脚《まへあし》を上《うへ》へ挙《あ》げて、高《たか》く棟《むね》を抱
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