《これ》を救《すく》ふものも又《また》吾輩《わがはい》でなければ不可《いけな》い。然《しか》も彼《かれ》を連《つ》れ返《かへ》る道《みち》は、丁《ちやん》と最《も》う着《つ》いて居《ゐ》るんだ。唯《たゞ》少時《しばらく》の辛抱《しんばう》です。いや/\、決《けつ》して貴下方《あなたがた》が御辛抱《ごしんばう》なさるには及《およ》ばん。辛抱《しんばう》をするのはお浦《うら》だ、可哀想《かあいさう》な婦《をんな》だ。我慢《がまん》をしてくれ、お浦《うら》、腕《うで》は確《たしか》だ。』
と、掌《てのひら》を開《ひら》いて、ぱつ、と出《だ》す。と一同《いちどう》はどさ/\と又《また》退《すさ》つた。吃驚《びつくり》して泥田《どろた》へ片脚《かたあし》落《おと》したのもある、……ばちやりと音《おと》して。……
『気《き》が違《ちが》つた。』
『変《へん》だ。』
『真物《ほんもの》だ。』……と囁《さゝや》き合《あ》ふ。


       祠《ほこら》


         二十八

 狂気《きやうき》した、変《へん》だ、と云《い》ふのは言葉《ことば》の切目毎《きれめごと》に耳《みゝ》に入《はい》つた。が、これほど確《たしか》な事《こと》を、渠等《かれら》は雲《くも》を掴《つか》むやうに聞《き》くのであらう。我《われ》は手《て》に握《にぎ》つて、双《さう》の眼《まなこ》で明《あきら》かに見《み》る采《さい》の目《め》を、多勢《たぜい》が暗中《あんちゆう》に摸索《もさく》して、丁《ちやう》か、半《はん》か、生《せい》か、死《し》か、と喧々《がや/\》騒《さわ》ぎ立《た》てるほど可笑《をかし》な事《こと》は無《な》い。
『はゝゝ、大丈夫《だいじやうぶ》、心配《しんぱい》は無《な》いと云《い》ふに、――お浦《うら》の所在《ありか》も、救《すく》ふ路《みち》も、すべて掌《たなごゝろ》の中《うち》に在《あ》る。吾輩《わがはい》が掴《つか》んで居《ゐ》る。要《えう》は唯《たゞ》掴《つか》んだ此《こ》の手《て》を開《ひら》く時間《じかん》を待《ま》つ事《こと》だ。――今《いま》開《ひら》け、と云《い》つても然《さ》うは不可《いか》ん。唯《たゞ》、開《ひら》くのではない、開《ひら》いてお浦《うら》の掌《てのひら》へ返《かへ》すんだ、いや/\彫像《てうざう》の拳《こぶし》に納《おさ》めるんだ。』
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