《はうがく》の知《し》れない山《やま》の中《なか》で、掻消《かきけ》すやうに隠《かく》れたものが無事《ぶじ》で居《ゐ》やう筈《はづ》はないではないか。
決《けつ》して安泰《あんたい》ではない。正《まさ》に其《そ》の爪《つめ》を剥《は》ぎ、血《ち》を絞《しぼ》り、肉《にく》を※[#「てへん+毟」、第3水準2−78−12]《むし》り骨《ほね》を削《けづ》るやうな大苦艱《だいくかん》を受《う》けて居《ゐ》る、倒《さかさま》に釣《つ》られて居《ゐ》る。…………………』
と戦《おのゝ》いたが、すぐ肩《かた》を聳《そびや》かした。
『何処《どこ》に居《ゐ》る? 何《なに》、お浦《うら》の所在《ありか》は何処《どこ》だ、と言《い》ふのか。いや、君方《きみがた》に、其《それ》は話《はな》しても分《わか》るまい。水《みづ》の底《そこ》のやうな、樹《き》の梢《こずゑ》のやうな、雲《くも》の中《なか》のやうな、……それぢや分《わか》らん、分《わか》らない、と言《い》ふのかね、勿論《もちろん》分《わか》りませんとも!
吾輩《わがはい》には丁《ちやん》と分《わか》つて居《ゐ》る。位置《ゐち》も方角《はうがく》も残《のこ》らず知《し》つてる、――指《ゆびさ》して言《い》へば、土地《とち》のものは残《のこ》らず知《し》つてる。けれども其《それ》を話《はな》すとなると、それ行《ゆ》け、救《すく》へで、松明《たいまつ》を振《ふ》り、鯨波《とき》の声《こゑ》を揚《あ》げて騒《さわ》ぐ、騒《さわ》いだ処《ところ》で所詮《しよせん》駄目《だめ》です。
誰《たれ》が行《い》つても何者《なにもの》が騒《さわ》いでも、迚《とて》も彼《かれ》は救《すく》ひ出《だ》せない。
おゝ! 君達《きみたち》にも粗《ほゞ》想像《さうざう》出来《でき》るか、お浦《うら》は魔《ま》に攫《さら》はれた、天狗《てんぐ》が掴《つか》んだ、……恐《おそ》らく然《さ》うだらう。……が、私《わたし》は此《これ》を地祇神《とちのかみ》の所業《しよげふ》と惟《おも》ふ。たゞし、鬼《おに》にしろ、神《かみ》にしろ、天狗《てんぐ》にしろ、何《なに》のためにお浦《うら》を攫《さら》つたか、其《そ》の意味《いみ》が分《わか》るまい、諸君《しよくん》には知《し》れなからう。
独《ひと》りこれを知《し》るものは吾輩《わがはい》だよ。而《そ》して此
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