無《な》う、やがて丑満《うしみつ》と思《おも》ふ、昨夜《ゆふべ》の頃《ころ》、ソレ此処《こゝ》で、と網《あみ》を取《と》つたが、其《そ》の晩《ばん》は上《うへ》へ引揚《ひきあ》げる迄《まで》もなく、足代《あじろ》の上《うへ》から水《みづ》を覗《のぞ》くと歴然《あり/\》と又《また》顔《かほ》が映《うつ》つた。
 と老爺《ぢゞい》が話《はな》す。
「聞《き》かつせえまし、肩《かた》から胸《むね》の辺《あたり》まで、薄《うつす》らと見《み》えるだね、試《ため》して見《み》ろで、やつと引《ひ》き揚《あ》げると、矢張《やつぱ》り網《あみ》に懸《かゝ》つて水《みづ》を離《はな》れる……今度《こんど》は、ヤケにゆつさゆさ引振《ひつぷる》ふと、揉消《もみけ》すやうにすツと消《き》えるだ――其処《そこ》でざぶんと沈《しづ》める、と又《また》水《みづ》の中《なか》へ露《あら》はれる。……
 三夜《みよさ》四夜《よよさ》と続《つゞ》いたが、何時《いつ》も其《そ》の時刻《じこく》に屹《きつ》と映《うつ》るだ。追々《おひ/\》馴染《なじみ》が度重《たびかさな》ると、へい、朝顔《あさがほ》の花《はな》打沈《ぶちしづ》めたやうに、襟《ゑり》も咽喉《のど》も色《いろ》が分《わか》つて、口《くち》で言《い》ひやうは知《し》らぬけれど、目附《めつき》なり額《ひたひ》つきなり、押魂消《おつたまげ》た別嬪《べつぴん》が、過般中《いつかぢゆう》から、同《おな》じ時分《じぶん》に、私《わし》と顔《かほ》を合《あ》はせると、水《みづ》の中《なか》で莞爾《につこり》笑《わら》ふ。……
 や、其《そ》の笑顔《ゑがほ》を思《おも》ふては、地韜《ぢだんだ》踏《ふ》んで堪《こら》へても小家《こや》へは寐《ね》られぬ。雨《あめ》が降《ふ》れば簑《みの》を着《き》て、月《つき》の良《い》い夜《よ》は頬被《ほゝかぶ》り。つひ一晩《ひとばん》も欠《か》かさねえで、四手場《よつでば》も此《こ》の爺《ぢい》も、岸《きし》に居着《ゐつ》きの巌《いは》のやうだ――扨《さて》気《き》が着《つ》けばひよんな事《こと》、沼《ぬま》の主《ぬし》に魅入《みい》られた、何《なに》か前世《ぜんせ》の約束《やくそく》で、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の番人《ばんにん》に成《な》つたゞかな。何処《どこ》で死《し》ぬ身《み》と考《かんが》える、と心細《こゝろ
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