、蔽被《おつかぶ》さるやうに覗《のぞ》いて、
『待《ま》て、待《ま》て、死骸《しがい》を見《み》たでは無《な》い。ぢやが、正《しやう》のものでもなかつた……謂《い》はゞ影《かげ》ぢやな。声《こゑ》の有《あ》る色《いろ》の有《あ》る影法師《かげぼふし》ぢや……其《そ》のものから、御身《おみ》に逢《あ》ふて話《はな》してくれい、と私《わし》が托言《ことづけ》をされたよ。……
何《なに》かな、御身《おみ》は遠方《ゑんぱう》から、近頃《ちかごろ》此《こ》の双六《すごろく》の温泉《をんせん》へ、夫婦《ふうふ》づれで湯治《たうぢ》に来《き》て、不図《ふと》山道《やまみち》で其《そ》の内儀《ないぎ》の行衛《ゆくゑ》を失《うしな》ひ、半狂乱《はんきやうらん》に捜《さが》してござる御仁《ごじん》かな。』とつけ/\訊《たづ》ねる。
女房《にようばう》が失《う》せて半狂乱《はんきやうらん》、」
と雪枝《ゆきえ》は、思出《おもひだ》すのも、口惜《くや》しさうに歯噛《はが》みをした。
「察《さつ》して下《くだ》さい、……唯《たゞ》其《そ》の音信《たより》の聞《き》きたさに、
『えゝ、其《その》ものです』と返事《へんじ》を為《し》ました。
『やれ/\、気《き》の毒《どく》。』
とさら/\と法衣《ころも》の袖《そで》を掻合《かきあ》はせる音《おと》がして、
『私《わし》は旅《たび》のものぢやが、此《こ》の沼《ぬま》は、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》と言《い》ふげぢやよ。』
老爺《おぢい》さん、其処《そこ》は城《じやう》ヶ|沼《ぬま》と言《い》ふ処《ところ》だつた。」
雪枝《ゆきえ》は息《いき》せはしく成《な》つて一息《ひといき》吐《つ》く。ト老爺《ぢい》は煙草《たばこ》を払《はた》いた。吸殻《すゐがら》の落《おち》た小草《をぐさ》の根《ね》の露《つゆ》が、油《あぶら》のやうにじり/\と鳴《な》つて、煙《けむり》が立《た》つと、ほか/\薄日《うすび》に包《つゝ》まれた。雲《くも》は稍《やゝ》薄《うす》く成《な》つたが、天守《てんしゆ》の棟《むね》は、聳《そび》え立《た》つ峯《みね》よりも空《そら》に重《おも》い。
「えゝ、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の。はあ、夢中《むちゆう》で其処《そこ》ら駆廻《かけめぐ》らしつたものと見《み》える……それは山《やま》の上《うへ》では無《な》い。お前様《めえさま
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