》が温泉《をんせん》へ来《き》さつしやつた街道端《かいだうばた》の、田畝《たんぼ》に近《ちか》い樹林《きはやし》の中《なか》にある大《おほき》い沼《ぬま》よ。――何《なに》が、其《そ》の水《みづ》は谿河《たにがは》の流《ながれ》を堰《せ》いて溜《た》めたでは無《な》うて、昔《むかし》から此《こ》の……此処《こゝ》な濠《ほり》の水《みづ》が地《ち》の底《そこ》を通《かよ》ふと言《い》ふだね。……
お天守《てんしゆ》の下《した》へも穴《あな》が徹《とほ》つて、お城《しろ》の抜道《ぬけみち》ぢや言《い》ふ不思議《ふしぎ》な沼《ぬま》での、……私《わし》が祖父殿《おんぢいどん》が手細工《てざいく》の船《ふね》で、殿様《とのさま》の妾《めかけ》を焼《や》いたと言《い》つけ。其《そ》ん時《とき》はい、其《そ》の影《かげ》が、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》へ歴然《あり/\》と映《うつ》つて、空《そら》が真黒《まつくろ》に成《な》つたと言《い》ふだ。……其《それ》さ真個《ほんとう》か何《ど》うか分《わか》らねども、お天守《てんしゆ》の棟《むね》は、今以《いまも》つて明《あきら》かに映《うつ》るだね。水《みづ》の静《しづか》な時《とき》は大《おほき》い角《つの》の龍《りう》が底《そこ》に沈《しづ》んだやうで、風《かぜ》がさら/\と吹《ふ》く時《とき》は、胴中《どうなか》に成《な》つて水《みづ》の面《おもて》を鱗《うろこ》が走《はし》るで、お城《しろ》の様子《やうす》が覗《のぞ》けるだから、以前《いぜん》は沼《ぬま》の周囲《まはり》に御番所《ごばんしよ》が有《あ》つた。最《もつと》もはあ、殺生《せつしやう》禁制《きんせい》の場所《ばしよ》でがしたよ。
其《そ》の上《うへ》、主《ぬし》が居《ゐ》て住《す》む、と云《い》ふて、今以《いまもつ》て誰一人《たれひとり》釣《つり》をするものはねえで、鯉《こひ》鮒《ふな》の多《いか》い事《こと》。……
お前様《めえさま》が温泉《ゆ》の宿《やど》で見《み》さしつけな、囲炉裡《ゐろり》の自在留《じざいどめ》のやうな奴《やつ》さ、山蟻《やまあり》が這《は》ふやうに、ぞろ/\歩行《ある》く。
あの、沼《ぬま》へ、待《ま》たつせえ、」
と又《また》眉《まゆ》をびく/\遣《や》つた。
「四手場《よつでば》を拵《こさ》えて網《あみ》を張《は》るものは近郷近在
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