て居る積りになつて居て、却て久しく先生のお宅へ上ることもせず御無沙汰をして居るのは夢と不精との連合した極端な例ですが、崇拜したり、景慕したりする人を夢に見るのは嬉しいことであつて、支那の聖人が「近頃夢に周公を見なくなつた」と云つて歎かれたのも、全く聖人の實感であつたらうと思はれます。
 古代は夢に由つて身の吉凶を判斷する占術者があつて、それを「夢解き」と云ひました。平安朝の初めに應天門を燒いた謀叛人の伴大納言善男がまだ田舍で郡司の從者をして居る程の卑しい身分であつた頃、東大寺と西大寺の塔に兩足を掛けて立つた夢を見て、その事を妻に話すと、無智な妻は「股が裂けるでせう」と云ふやうなことを云ひました。善男は瑞兆の夢だと考へて居たのに、妻の言ひ草を聞いて縁起でも無いと思つて夢解きの名人に占なつて貰ふと、その名人は「非常に吉い夢であるが、惜しいかなよく無い人に喋べつてしまつたので、上運に傷が附いた」と云ひました。果して善男は次第に好運が續いて大納言までに成り上りましたが、後に應天門の事件で失脚して流罪になつたと宇治拾遺物語に書かれて居ります。(これと同じことが藤原師輔に就いての傳説にもあります)
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング