好い歌を感得したやうな經驗は持ちませんが、小説やお伽噺の構想を夢の中で捉へることは屡※[#二の字点、1−2−22]あります。それには空想的なものもありますが、夢の中では意識が一方に集つて照り輝くためでせう、微妙な心理や複雜な生活状態から目が覺めて居る時よりも一層よく寫實的に觀察することの出來るばかりで無く、其れにおのづから明暗の度が適度に附いて、ちやんと一つの藝術品として立體的に浮き上つて構圖されて居る場合があります。さう云ふ場合に、人が夢を見て居ると云ふことは眠つて居るので無くて、藝術家としての最も純粹な活動をして居ることに當ると思ひます。
 それから、また、平生ぼんやりと考へて居ることや、どうして解釋して好いか解らないで行き惱んで居る問題などがはつきりと夢の中で判斷のつくこともあります。さう云ふ場合に夢と現實との間に境目と云ふものが無いやうな氣がします。と云つて、私は夢を少しも當てにして居るのでは無いのですが、小野小町が夢を愛したと云ふ氣持は私にも想像することが出來るやうに思ひます。
 私の良人はよくM先生を夢に見ると云つて喜んで居ります。それで斷えずM先生にお目に掛つてお話を承つ
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