。第一に私が実際運動を「いつも否定している」とは何を証拠にいわれるのでしょうか。次に私は如何なる場合に、すべての婦人にその子女の養育を抛《なげう》ってまで屋外の労働と政治運動とに飛び出すことを奨励したでしょうか。また私の十余年間の著述の何処《どこ》に、婦人に対して「お前さんたちはどうでもいいだろう」というような愛とデリカテとを欠いた「不人情」な気分を持った発言を敢てしたでしょうか。それから「不人情」の一語は何よりも私の全人格を顛覆《てんぷく》せしめるものです。最も同情と礼意のあるべき女子と女子との意見の交換に、女史がこういう言葉を用いられたのは、女史の倫理的意識に省みて疚《やま》しくないだけの御自信があっての事でしょうから、私はそれを立証して頂きたいと思います。あるいはこれは私が「母性の国庫保護説」を主張される女史たちに対して「短見者流」という評語を加えたることに由って憤激されたのかも知れませんが、女史たちの主張が短見であり幻想であることは、一条忠衛氏が本年一月の『六合《りくごう》雑誌』で明晰《めいせき》に論断しておられます。女史たちが一条氏のあの議論をまだ今日まで論破されない限り「短
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