えていることを教えられます。私は自分の幼稚な直観が益々これらの思想に由って確実な支柱を得ることを喜びます。

 私はこの汎労働主義の立場から、女子にもあらゆる労働と職業とを要求し、またそれの準備として女子の高等教育をも要求します。私が女子の学問と経済的独立について今日までしばしば意見を述べているのは、実にこの要求を貫徹したいためです。
 リップスは労働について言いました。「我らは自己の素質と、世界における我らの位地とに由って、最も実現するに適する目的にその力を集中する義務を持っている。すべての人は同一でない。故に個人がそれぞれの地位において社会的全体の中に織り込まれ、それぞれに分業を以て全体の文化的使命に貢献する」と。人間の能力が多種多様であって、適材が適所において文化価値を創造することが望ましい事である以上、個別的に適応した各種の職業が女子にも解放されねばなりません。左右田博士もいわれたように「一切の人格が、文化価値実現の過程において、たといその中の一個でもその過程の表面以下に埋没せらるる事なく、悉《ことごと》く皆その表面において、それ自身固有の位置を占め」て、私のいう人類無階級的連帯責任の文化生活を実現しようとするには、職業の自由を一斉に享有することを前提としなければなりません。
 世にはこれに対して沢山の反対説があります。女子の能力範囲を良妻賢母主義に局限して経済的独立の不可能をいう論者があり、また女子の現在の心理、体質、境遇だけを根拠にして労働能力の悲観的であることをいう論者があり、また女子を装飾物や玩弄物と見た男子の迷信的感傷的感情から、女子が職業に就くことを悲惨の行為であるという論者があります。しかし最も古代からの労働的精神と労働その物とを神妙に維持している農民階級の女子を初め、屋内工業に従事している近代の女子が、今日もその母性に属する労働と共に経済的労働を並行させた立派な成績を示しているのを見れば、第一の反対説は消滅すべき運命を持っています。
 平塚らいてう[#「らいてう」はママ]、山田わか両女史はその御自身の経験を基礎として、第一の反対説を唱える人たちですが、両女史が母体の経済的独立が不可能だとされるのは、何か両女史御自身の上に、及び両女史の境遇に、それを不可能にする欠陥がありはしませんか。農民や漁民階級の労働婦人が立派に妻及び母の経済的労働を実証し
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