を創造し増加することに由って、リップスのいわゆる「絶対的な道徳的、社会的、全人類的有機体即ち世界国の完成」に資することが即ち文化価値であり、この文化価値を実現する過程を文化生活といい、人間の思想と行為との一切|帰趨《きすう》を文化価値に置くことを文化主義というのだと思います。
人間は文化価値実現の生活に参加して、初めて完全に自然人の域を脱した人格者ということが出来ます。文化主義が最高唯一の生活理想であることは、文化内容のいずれを採って調べて見ても、その帰趨を文化主義に置かない限り徹底した解釈が附かないので解ると思います。例えば芸術のための芸術とか、良妻賢母のための良妻賢母とかでは、それの絶対価値を定めることが出来ません。芸術至上主義や母性中心主義が中途半端なものであって、到底文化生活の全体を一貫した理想の標語となりがたいのはこれがためです。芸術も、母の行為も、学問も、政治も、あらゆる人間の活動がすべて文化主義を理想として、初めて文化生活の上に意義と価値とを持つことが出来ると思います。
次に私は「男女平等主義」と「人類無階級的連帯責任主義」とを、改造の基礎条件の第三、第四とする者です。前者については、これまでから度々《たびたび》私の感想を述べましたから、今は簡単に、男女の性別が人格の優劣の差別とはならず、人間が文化生活に参加する権利と義務の上に差別的待遇を受ける理由とはならないものであるというだけに止めて置きます。
後者は自我発展主義と、文化主義と、男女平等主義とに促されて起る必然の思想であって、文化生活を創造するには、すべての人間が連帯の責任を持っています。私たち女子も公平にそれを分担することを要求します。貴族と軍閥と資産階級とがこれについて階級的の特権を持つことが不法であるように、文化生活が従来のように男子本位に偏することは、文化価値実現のためにする女子の自我発展を男子の利己主義と階級思想とに由って拒むことに外ならないのです。
左右田博士が、「文化主義は、あらゆる人格が文化価値実現の過程において、それぞれ特殊固有の意義を保持するを得、その意義においていずれかの文化所産の創造に参与する事実を通じて、各個人の絶対的自由の主張を実現し得ることを求むるものである」といわれ、また「各人格は一部的文化所産の創造に由ってその全き人格を発揚し、かくて一切の人格に由って相
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