選挙は世界の大勢であるからこれを要求するのだという人があるなら、私はその人が模倣同化の通有性のみあって、自由独創の個性に乏しいことを惜みます。今日は国家とか民族とかに由って制限される何物もありません。現に巴里《パリイ》の講和会議で「国際連盟」が討議されているように、個人の道徳生活の範囲はあらゆる民族とあらゆる国家との保存を包容したものの全体、即ち「世界人類」の平和にまで拡げられているのですから、世界の問題はやがて個人の問題ですけれど、その世界人類の中心となるものは常に個人なのですから、個人の自発的要求と合わない限り、世界の大勢であるからといって、その良いものであるか、悪いものであるかを批判しないで、迷信的事大的に受け容れることは出来ません。古人が「千万人といえども我れ行かん」といいました通り、自ら発し、自ら批判し、自ら確信する要求には、世界の大勢にも楯《たて》つき、わざと険を冒《おか》して辞せず、命をも賭けるほど熱情と真摯《しんし》と沈勇とがあります。
 私にも世界の大勢を口にしたり、欧米の実例を挙げたりする場合がしばしばあります。しかし私は決してそれを私の議論の前提にも基礎にもしよう
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