も読むことなくして現代文学を排斥する官憲や教育家の多いことは現に見受ける所である。また山形県|酒田《さかた》の富豪|本間《ほんま》氏がその子弟の教育を小学程度に止《とど》めてそれ以上を学ばしめざるのみか、氏一家の反対に由って今なお中学の設置を酒田町に見ざる類の、非文明的な父兄も各地に多いのである。わたしはそういう保守|頑冥《がんめい》な階級に対しては唯《ただ》困ったものだと思うのみで最早どうしようという見込も考もないが、願《ねがわ》くば新しい思想を尊び新しい活動を実現しようとする進歩主義の人人の驥尾《きび》に従い、胸の鼓動をそれらの人人の調子と一つに揃《そろ》えて意義ある自分の生活を続けたいと思っている。
わたしはいろんな事を考える。それを文学的に述作することもあり、また手足の労働に実現することもある。また単に感想として他人に聞いてもらうこともある。また考えただけで直ぐにも永久にも実現することの出来ない感想もあって、人には知れない事であるが、そういう感想は手近く実現し得る感想よりも自分にはかえって興味が深い場合もある。とにかく考えること想うことはそれ自身に自足飽満の悦びがある。他人
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