か、戦争の名は如何様《いかよう》に美くしかったにせよ、真実をいえば世界の文明の中心理想に縁遠い野蛮性の発揮ではなかったか、というような細心の反省と批判とを徐《おもむ》ろに考える人は少いのである。専制時代、神権万能時代にあっては、我我は少数の先覚者や権力者に屈従し、その命令のままに器械の如く働けばよかったのであるが、思想言論の自由を許されたる今日に、各個の人が自己の権利を正当に使用しないのは文明人の心掛に背《そむ》いたことである。
考えるという事を働くという事よりも卑しい事とし、または協立しがたき事のように思い、甚しきは有害なりとして排斥しようとする風は、今の官憲にも教育者にも父兄の間にも行われている。「広く智識を世界に求め云云《うんぬん》」と仰せられた維新の御誓文を拝したる以後の国民は、何よりも思想を重んずべきはずであるのに、今なおそのような蛮風の遺《のこ》っているのは困ったものである。近頃聞く所に由ると、社会主義者の中に或る大逆罪の犯人を発見するに及んで、政府の高官らは慌《あわ》てて欧洲の書籍を研究し、初めて社会主義と無政府主義との区別を知ったという事である。また一冊の新刊小説を
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