を避けしめねばならない女や、良縁を得ないため、または婚資のないために余儀なく独身生活を送る女や、結婚して母たる資格を具備していながら肝腎の子供のない女などをも不徳の婦人として批難せねばならないことになる。それは実際に不合理なことである。そうして現実の世界には性情と境遇を異にした無数の女が存在していて、絶対に母性中心説を適用することの不可能なことがここにも暗示されているように想われる。
 我国の婦人の大多数は盛に子供を生んで毎年六、七十万ずつの人口を増している。あるいは国力に比べて増し過ぎるという議論さえある。私たちはむしろこの多産の事実について厳粛に反省せねばならない時に臨んでいる。旧式な賢母良妻主義に人間の活動を束縛する不自然な母性中心説を加味してこの上人口の増殖を奨励するような軽佻《けいちょう》な流行を見ないようにしたいものである。(一九一六年二月)
[#地より1字上げ](『太陽』一九一六年二月)



底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年8月16日初版発行
   1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「人及び女として」天弦堂書
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