にまだ無智な母の多い時代には出来るだけ父性の協力がないと子供の受ける損害は多大である。母親だけが子供を育てることは良人が歿したとか、夫婦が別居しているとかいうやむをえざる事情の外は許しがたいことである。しかしこれくらい自分の子供の教育を重大に考えて取扱っている私さえ、前に述べたように母体としてのみは生きていない。私のように遅鈍な女の上にもそういう生き方を求めるのは甚だしい不自然である。まして無数の異った性情と異った境遇を備えている一切の女を母性中心の型に入れようとする主張は肯定することが出来ないように想われる。
 こういっても私は、健康な婦人が良人との間に少くも一人の子供を養い得るだけの経済的自活力を持ちながら、容貌の美を失ったり、産褥《さんじょく》の苦痛に逡巡《しゅんじゅん》したり、性交の快楽を減じたりする理由から妊娠を厭《いと》い、または生児の養育を他人に託するようなことを弁護する者では断じてない。その女の生活が絶対的母性中心から遠ざかっているという根拠からでなく、その女みずからがより好く生きるのに必要な誠実と、聡明と、勇気とを欠いているのが私には不満なからである。豊富な性情と健康
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