る」註文だと思います。人は分業的に協力して社会生活に寄与するものです。平塚さんのような註文が正当なら人は悉《ことごと》く万能を完備しなければなりません。私とても平塚さんが挙げられたような問題について、微力の及ぶ限り注意もし研究もしております。それらについて「大に努力」こそしませんが、心では大に努力したい希望を持っていて、機会があれば文筆の上でも述べております。平塚さんが私の書いたものに対して、「観察があまりに狭隘《きょうあい》であるばかりか、ややもすれば事実その物の観察に出発せず、かつ事物の広くして深い関係を無視し、単独に一つの事件なり現象なりに対して是非の結論を急ぐ傾向が見えます。この欠点は氏が社会問題を論ぜられる場合に殊に著しく目立つところで、複雑な関係の上に置かれている社会問題も、氏によっては単独孤立的なものであるかの如く取扱われ、甚だしきは現社会の事実を全く無視して、自分ひとりを標準として極めて主観的な判断を大胆にも下しておられます」といわれたのは、虚礼的謙遜を避けて私がいえば、それはかえって平塚さん御自身に適用すべき非難であろうと思います。少くも私への抗議に現れた平塚さんの態
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