れらを全く顧慮しないで「我国の如く婦人の労働範囲の狭い、その上、終日駄馬の如く働いても、自分ひとり食べて行くだけの費用しか得られないような、婦人の賃銀や給料の安い国」や「生涯を通じて働いてもなお老後の生活の安全が保証されない、またはそれだけの貯蓄を為《な》し得るほどの賃銀が得られないような経済状態にある現社会」が何時《いつ》までも人間の力で改造されずに固定して存続する物のように平塚さんの考えておられるのが何よりの誤解だと思います。恋愛の自由を主張される時にはエレン・ケイ女史と同じような立場から、自由思想家として理想主義的な議論をされる平塚さんが、私たちのいう意味の婦人の経済的独立に反対される時には、どうしてこうまで運命論的、自然主義的な行詰った消極論を述べられるのでしょうか。
また平塚さんは、私が現代の理想として、こうした婦人の経済的独立を尊重しかつ要求するなら、それに先だって「婦人の職業教育奨励、職業範囲の拡張、賃銀値上問題等」になぜ大に努力しないかという風にいわれましたが、これなどは私の素養と、境遇と、精力とに対して甚だ思い遣《や》りのない、いわゆる「難《かた》きを人に強《し》うる」註文だと思います。人は分業的に協力して社会生活に寄与するものです。平塚さんのような註文が正当なら人は悉《ことごと》く万能を完備しなければなりません。私とても平塚さんが挙げられたような問題について、微力の及ぶ限り注意もし研究もしております。それらについて「大に努力」こそしませんが、心では大に努力したい希望を持っていて、機会があれば文筆の上でも述べております。平塚さんが私の書いたものに対して、「観察があまりに狭隘《きょうあい》であるばかりか、ややもすれば事実その物の観察に出発せず、かつ事物の広くして深い関係を無視し、単独に一つの事件なり現象なりに対して是非の結論を急ぐ傾向が見えます。この欠点は氏が社会問題を論ぜられる場合に殊に著しく目立つところで、複雑な関係の上に置かれている社会問題も、氏によっては単独孤立的なものであるかの如く取扱われ、甚だしきは現社会の事実を全く無視して、自分ひとりを標準として極めて主観的な判断を大胆にも下しておられます」といわれたのは、虚礼的謙遜を避けて私がいえば、それはかえって平塚さん御自身に適用すべき非難であろうと思います。少くも私への抗議に現れた平塚さんの態
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