度にはこの非難を下し得る遺憾が明かにあります。
平塚さんは、私が『婦人公論』に載せた、あの一篇の短い感想だけを読んで、私という個人全体の欠点を非難されました。これが「事実その物の観察」に出発して「事物の広くして深い関係」を考え、一つの事件を、「単独孤立的」に取扱わず、慎重な観察を以て「社会の事実を無視」しない人の為すべきことでしょうか。私は今|憚《はばか》らずにいう必要を感じます。この七、八年間の私が乏しい時間の中で最も親んでいる所の、かつ出来るだけ広く読もうと心掛けている所のものは、文学の書物よりも、むしろ政治、経済、教育、労働問題等のそれであることや、それと同時に私が男女のあらゆる職業に対して実際にどれだけ注意し、踏査し、かつ他人の経験に聞きつつあることやは、私の日常の実際行為として平塚さんの耳目に触れないのは当然ですが、平生文筆に由って私の公開しているものについて、もし平塚さんが通読の煩を厭《いと》われなかったなら、たとい結果は一知半解の独断的意見が多くなっているにもせよ、私の取扱っている題目の範囲のかなりに広い上に、私の態度が私の微力の能う限りにおいて社会事実の有機的関係を広く深く観察すると共に、その全体と核心と部分との統一と本末軽重を無視するどころか、常にそれを顧慮し高調していることにお気が附かねばならないはずです。私の書いたものから特に欠点のみ拾って揚足《あげあし》を取ろうとする悪戯《いたずら》的気分や小人的敵意に満ちた人はともかく、私に多少の愛を持って私の長所を発見し、それを助成しよう、補導しようとする人ならば、私が凡庸な素質と、迂遠な独修的教育と、乏しい経験と、狭い知識とから出来る限り固陋《ころう》な自己を破って、正大自由な理想と苦行的な実行との中に自分の生活を建てよう、更にこの理想を述べることに由って私たちの同性の自奮自発を促す万一の貢献をしたいと焦心していることに一顧を払われるであろうと思います。平塚さんが私の幾冊もない詩集と文集とのいずれをも読まれることなしに、私が「事実の観察に出発せず」加之《おまけ》に「事実の関係を全く無視して極めて主観的な判断を下す」といって私の文筆生活に現れた私の人格全体を非難されたのは、それこそ余りに主観的な、大胆きわまる判断だと思います。
平塚さんの私に対する抗議が以上のようなものであって見れば、これは最早第三者
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