といわれました。また近頃|中島徳蔵《なかじまとくぞう》氏は「今度の戦争について、国家のためか、主権者のためか、と問うなら、彼ら欧米人は一斉に――恐らく独逸《ドイツ》を除いては――「否、人民のため、自己自身のため」と答えるに躊躇《ちゅうちょ》しないであろう。ウィルソンに柔順に服従することは普通の常識的言明で、実は自我が創造し是認した権威に自我が服従するに外ならぬ。服従とは一種の自由である、自我主張である」と言われました。こういう差別の内に平等を抱き、部分の中に全体を含むそれ自身の発展作用を人生だとすれば、人間は共同生活に浸りながら個人の絶対独立を実現することが出来るのです。相対的な経済的独立は、要するに悠久な人間生活の過程に姑《しばら》くその絶対独立の一つの因素となるに過ぎません。
しかし山田さんの奇抜な独立否定説が必ずしも確信を持って述べられていない証拠には、山田さんは同じ文章の中で「私たちは……他人から独立を輔佐《ほさ》され、いわゆるもちつ[#「もちつ」に傍点]、もたれつ[#「もたれつ」に傍点]して生きて行くものだと思います」といい、「精神上の独立を保ちながら充分なる収入を得ている
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