答えていいます、「勿論です」と。私は彼らがなお自労自活の能力を持ち、儲蓄《ちょちく》した財力を持つ限り、併せて彼らと反対の側に、彼らに多大の恩給や年金を支払うために無数の労働者がその労働価値の大部分を間接に彼らに献《ささ》げている限り、それは厳正な意味において屈辱的生活を以て目すべきものだと思います。唯だ習慣がそれを国家の寄食者として蔑視しないだけの事だと思います。
 平塚さんはその中に「俸給生活」をも数えて質問されましたが、俸給は労働に対する正当な報酬です。それを受取る権利が俸給生活者自身にあります。国家の保護と称すべきものではないでしょう。
 山田さんは「婦人は一家を主宰し、子供を養育する、その報酬として男子に金を払わせる。貰《もら》うというのでなくて納めさせるという事にしなければなりません」といって良人の保護を要求し、大学の教授や国会議員が年俸を貰うのと同じく、「場合に由っては、国家から補助を受ける事は当然だ」といわれ、平塚さんも同様の意味で「母が国家から報酬を受けることも恩恵に与《あずか》ることでないはずです」といわれ、山川さんもほぼ同様の意見を述べておられます。要するに、母を
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