一面において家庭及び国家の俸給生活者たらしめる事に由って、寄食者の名を免れしめ、経済的無力者の位地に安心して落着かせようとされるのです。
 山川さんはさすがに気が咎《とが》めたらしく、「母の仕事を経済的価値に踏むことを今までは一般に嫌っておりました。それに違いありません。……といって母は神様ではないから、衣食の資料は要《い》らないといって澄《すま》している訳にも行きません」といい添えられました。衣食の必要がありながら、また、どうにかして実現し得る労働の能力と機会とを持っていながら、凡《すべ》て母の仕事に匹敵する精神的生活者が、心的にも体的にも経済行為を取らずに、唯だ専ら精神的生活者であるという功労を以て国家の俸給に衣食したいと要求したら、山田さんはそれを是認されるでしょうか。
 私は母性の国家的保護に対して多く直観的に不可として来たのですが、近頃河上博士の「経済上の富の意義」を読んで、私の直観に学問的解釈を附け得たことを喜びました。博士は「経済学上の富としからざるものとの間には……理論上明確なる標準あるものにて、即ち人為を以てその生産及び分配を左右し得らるるものはこれを経済上の富とし、
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