られております。
最近に或識者は、「凡そ中層階級が自らも他からも健全なりと見做《みな》さるる理由は、自らその生活を保持し、これを充実し向上せしめ、他の施設恩恵を俟《ま》たぬがためである。しかるに今の中層は自己生活の充実向上の施設を、動《やや》もすれば国家社会の手に委ね、それに依って慶福を得んとしている。かかるは中層自らがその地位を捨てて下層と同じからんとする者にして、いわゆるその健全を捨てて社会的疾患たるに甘んぜんとする卑屈なる精神である」と論じました。私は自分と同憂の人のあるのを嬉しく思います。カントが「商人あるいは手工業者の雇人、僕婢《ぼくひ》、日傭《ひやとい》労働者、小作人及び総ての女子等、約言すれば他人より「食物及び保護」を受くる総ての人々を国民とは認めず、単に国家補助員と見做《みな》していた」というのは、その人格論に由来する正当な結論であろうと思います。
山川さんは「もしそれ保護が屈辱であり、非難に価するならば、恩給や年金に依って生活を保障されている軍人や官吏の古手も皆非難に価する屈辱的生活を送っている訳ではあるまいか」といわれ、他の二女史も同様の詰問をされています。私は
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