的事業とのみ考える旧式な思想に囚《とら》われているからだ」といわれました。何たる恐しい断言でしょう。
 私は子供を「物」だとも「道具」だとも思っていない。一個の自存独立する人格者だと思っています。子供は子供自身のものです。平塚さんのように「社会のもの、国家のもの」とは決して考えません。平塚さんは「子供の数や質は国家社会の進歩発展と、その将来の運命に至大の関係がある」といって、国家主義者か軍国主義者のような高飛車な口気を洩《もら》されておりますが、私たちの子供もきっと国家を愛し、社会を愛し、更に世界人類を愛して、そのいずれもの進歩発展を計る時が来るでしょう。しかしそれは彼ら自身の愛と事業とが――端的に彼らの自我が――世界人類を包容しないではおられない所まで進歩発展するのです。彼らは国家の所有でなくて、彼らが国家を自己の人格の中に一体として所有するのです。前に引用した有島武郎さんのお言葉も私の考えと同じ意味だと思います。
 平塚さんは「母」の意義をいろいろと教えて下さいましたが、私はかつて述べたように、母たる自尊を「世界人類の母」となる所まで拡充して生きたいと考えています。老子《ろうし》の
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