情味を持つ訳がないのです。家屋の内外には関係がありません。今一つは職業婦人を遇する新しい習慣がまだ社会に出来ていなくて、余りにだらしなく[#「だらしなく」に傍点]時間を多く使用させるからです。私は巴里《パリイ》で幾人かの有夫女子の会社員や工場労働者の家庭を見ましたが、朝は子供を学校まで送って行き、正午は勤め先から学校へ子供を迎えに行って、同時に他の勤め先から帰って来た良人と、夫婦子供|揃《そろ》って一所に食卓に就くのです。食事は路すがら麺麭《パン》と冷し肉ぐらいを買って来るのですから、唯だ瓦斯《ガス》で珈琲《コーヒー》を煮るだけで簡単に済まされるのです。それからまた父か母のいずれかが子供を学校に送って、夫婦は再び勤め先へ行きます。東京のようにだだ[#「だだ」に傍点]広くない都ですから勤め先も近く、少し位遠くても地下電車で訳もなく行かれます。巴里の公私の勤先が、こういう風に一定の時間を労働者夫婦に許しているのは善い習慣だと思います。こういう事も婦人労働者の要求が勢力を持てばきっと我国にも実現されるでしょう。
 平塚さんは、私が母性の保護に反対するのは「子供を自己の私有物視し、母の仕事を私
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