済的には富の分配を公平にする制度が相互一致の中に実現されるに違いないという意味であったのです。矛盾はないと思います。
山川さんは「そういう制度が作られていない現代においては、個人の自覚と努力だけで貧困を免れることは出来ない」といわれましたが、制度は個人の多数が意識的に作るのです。制度が先にあっても宜しいが、個人が多数に目覚めて、その制度を我物として活かすのでなくては、制度も猫に小判ですから、私は先ず個人の自覚と努力とを特にそれの乏しい婦人の側に促しているのです。勿論大多数の人間がその気にならない限り、制度があっても大多数の人間が完全に貧困を免れることは出来ませんが、一人でも早く気が附いて努力すれば、その人は或程度までの経済的独立が得られるものだと信じます。不完全な独立であるにしても、在来のように女子が男子に寄食して遊民と奴隷との位地に堕落していたのに比ぶれば、既に内面的に独立生活の中にあるものです。「道を問うは既に道に入るなり」という意味において、確かにこのようにいうことが出来ると思います。
経済的独立ということを具体的にいえば、人間が心的に体的に、いずれかの労働に由って自ら物質的
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