の与えられた紙数に制限があります。私は出来るだけ簡略にして言いたいだけの事をこの制限の中に書き並べて行こうと思います。
私が女子の経済的独立を主張しているのは、古《いにしえ》の希臘《ギリシャ》の哲人が「人は理想的に生活する前に先ず現実的に生活することを要す」といい、現代|伊太利《イタリヤ》の哲学者クロオツェが「道徳性は具体なるものの中に生き、功利に生きている……従って経済的形式と道徳的形式とは全く分離的にこれを区別することは宜しくない」といった意味で主張しているのです。経済が「社会を構成する凡《すべ》ての階級にその精神上の発達の物質的基礎を充実せしむるを以て最重の職分とするもの」(福田博士)であり、「人間に、他のより[#「より」に傍点]高き発達、より[#「より」に傍点]貴き活動を得せしめんがために必要なる物質的基礎を均等に与えているや否やを意味するもの」(マアシャル氏)であり、「経済とは、つまり物質的外界に向けられたる人間の行為にして、人間の欲望の充足に応ずる物質的条件を作ることを目的とするものの総体」(米田庄太郎《よねだしょうたろう》氏)であり、「余は人間に向って外部より福を齎《もたら》す物体を総称してこれを富といわんと欲す。……人間の体及び心の健全なる発達を助長し、依《よ》って以て、直接間接に人間をば道徳的に向上せしむるの作用を為す者は、凡てこれを富という。この意味の富の充実を計るもの」(河上博士)である以上、女子に限らず、経済的独立が何人にも必要であることは天日《てんじつ》を指すのと等しく明かな事実です。
なぜにこれを特に女子に向って高調する必要があるかということは、既に私においては、この八、九年間に度々繰返して述べている所ですから、今は自説を述べる代りに、今春|長谷川天渓《はせがわてんけい》さんが同じ問題について述べられた一文の中から「自己と現実の世界が何らかの関係を保つようになれば、そこに経済問題が生じて来る。私は現在の婦人界がこの方面を閑却してはいないかと思う。経済上の独立ということは詰らぬ問題のようであるが、現実の世界が経済的に組織されてある間は、これを重要視しなければならぬ。今の婦人界の大部分は自己の解放を欲しつつあるか、あるいは解放の喜悦を味いつつあるか、このいずれかであって、まだ経済上の問題に及ぶことが稀薄である。……何に拠りて生きるか。生活の基礎をどの[#「どの」に傍点]方面に置くか。真に生きているような心を以て朝を迎えるにはどうしなければならぬか。これらは男女両性に共通の問題であるが、解放されたる今日の女性、いわゆる醒《さ》めたる女性に取りては、それが一層痛切に感じられなければならぬはずだ。……そこで生の悦びを味うことから転じて、生活の基礎を精神的に、また経済的に確実にする思索に入らねばならぬ」という数節を引用して置きます。なおこれについては一条忠衛氏の「男女道徳論」にも詳しい主張があり、米田庄太郎氏の「現代の結婚」という論文や、山脇玄《やまわきげん》博士のいくつかの論文にも適切な解説があります。
私は今更唯物主義に由って経済一元論などを唱えるのでなく、以上のような相対的の意味で経済的独立を主張しているのです。山田さんがこれを誤解して、人間の絶対の独立を経済的手段に由って私が企画しているかの如く攻撃せられたのは、的なきに矢を放たれたものかと思います。
その上、山田さんは、人間が果して精神的にも経済的にも独立することの出来るものであろうかといって、経済的独立の思想及び行為を冷笑し、「独立という美くしそうな言葉に魅せられ」とか「独立などという空想に迷わされ」とかいっておられるようですが、これは思いがけない奇論だと思います。山田さんほどの人がまさか[#「まさか」に傍点]「独立」と「孤立」との意味を混淆《こんこう》されることもないでしょう。人類共同の生活と個人独立の生活とが矛盾すべきものでないことは、「人間はそれ自身を目的として存在する者」として人格の絶対尊貴を教えたカントの哲学に聴いても、「修身」を本として「治国平天下」に拡充し、「人を措いて天を思わば万物の情を失う」(『荀子《じゅんし》』)といい、「人を治むる所以《ゆえん》を知るは天下国家を治むる所以を知るなり」(『中庸』)と説いた支那の昔の哲人たちに聴いても明白な道理だと思います。
近頃|有島武郎《ありしまたけお》さんは「世界の内在的価値は人に由って創造される。……どれほど素朴な自己であっても、自己がある以上は、世界はその人の手に由って新たに創造されているのだ。……自己のない所に世界はない。民衆の意識に共通して少しの出入もない世界は一つもない。世界を創造するものは単位であり、同時に綜和であるものは自己だ」
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