目的は、画一的に他から強要されることなしに、個人個人の創造能力を、本人の長所と希望とに従って、個別的に、みずから自由に発揮せしめる所にあります。これまでの教育は功利生活に偏していましたが、私たちは、功利生活以上の標準に由って教育したいと思います。即ち貨幣や職業の奴隷とならずに、自己が自己の主人となり、自己に適した活動に由って、少しでも新しい文化生活を人類の間に創造し寄与することの忍苦と享楽とに生きる人間を作りたいと思います。
 言い換れば、完全な個人を作ることが唯一の目的です。「完全な個人」とは平凡に平均した人間という意味でもなければ、万能に秀《ひい》でたという伝説的な天才の意味でもありません。人間は何事にせよ、自己に適した一能一芸に深く達してさえいれば宜しい。それで十分に意義ある人間の生活を建てることが出来ます。また一能一芸以上に適した素質の人が多方面に創造能力を示すことも勿論結構ですが、両者の間に人格者として優劣の差別があると思うのは俗解であって、各その可能を尽した以上、かれもこれも「完全な個人」として互に自ら安住することが出来るようでなければならないと思います。

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 中学部の女学生に対する教育は、女子を以上の意味の完全な個人にまで導く基礎教育を施すのですから、女性という性別に由って、教育の質と種類とを男子の中学生より低下しもしくは削減しようとは思いません。これまでの良妻賢母主義の教育は、人間を殺して女性を誇大視し、男子の隷属者たるに適するように、わざと低能扱いの教育を施していました。私たちは男子と同等に思想し、同等に活動し得る女子を作る必要から、女性としての省慮をその正当な程度にまで引き下げ、大概の事は人間として考える自主独立の意識を自覚せしめようと思います。これが私たちの学校で、従来の高等女学校の課程に依《よ》らずに、特に中学部女生徒と呼ぶ所以《ゆえん》です。

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 中学部の課程は、修養部と創作部とに大別します。修養部においては、男子の現在の中学全部の学科を適度に取捨して、これを四年間に修めさせようと思います。これは従来の教育法に対して最も英断な斧鉞《ふえつ》を加えようとするものです。量を減じながら、質においては一層深化させて行くつもりです。この試錬が担任の教授たちの霊活な手腕を要することは言うまでもありません。
 修養
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