たこともありましたが、西村氏は、その研究所の一部の事業として、先ず芸術的な自由教育の学校を興す決心をされたのです。
 西村氏からこの事の相談を最初に受けたのは石井柏亭《いしいはくてい》氏と私とでした。画家である石井氏、詩人である私、この二人に対して、西村氏はその学校の実際の責任者となることを求められたのでした。私たちがそういう教育の重任に就くということは、言うまでもなく、社会の常識から見て突飛であるでしょう。西村氏はそれほど思い切った教育上の改革意見を齎《もた》らして私たちを驚かされたのでした。この事は私たちにも突然でしたが、石井氏にも私にも久しい間の親友である西村氏から相談を受けて見ると、三人が、一般の教育について、朧気《おぼろげ》ながら持っている平生の意見が期せずして一致し、話せば話すほど、実行方法の細部にわたる点までが同感であるのを発見しました。それで石井氏も快く進んでこの重任を引受けられ、私も喜んで石井、西村両氏の驥尾《きび》に附くことを承諾するに致りました。なお、学界と芸術界とにおける多数の先輩と諸友とが、私たち三人の事業を連帯して助成して下さることになりましたから、私はみずから微力であるにかかわらず、かえってこの事業のスタアトを甚だ心強く思います。

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 私たちの学校は「文化学院」と名づけることにしました。大学部と中学部の二部に分ちます。中学部が四年、大学部が四年です。
 男女共学制を実行するのですが、男子の学生は大学部の成立を待ってから募集します。男子には現状において、女子に比べると、中学以上の教育を受ける機会が多いのですから、私たちの学校では、第一著に中学部の女生徒ばかりを教育することに決めました。
 来る三月に、中学部一年級の女生徒四十名を募集します。出来るだけ個別的な教育を試みたいと思いますから、募集する生徒の数は、永久に一組三、四十人の間に限って置くつもりです。
 入学の資格は昨年及び本年の尋常小学卒業の女子に限ります。入学試験というものを全く致しませんが、採否の選択は、能力と体質とに対し、個別的の簡単な考査をして決します。入学を志望せられる女子は、学校の参考のために、何が最も本人の長所であるかにつき、本人、小学教師、両親らの意見を書いて、入学申込書に添えて置いて頂きたいと思います。

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 私たちの学校の教育
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