来世とやすててこし日の母の泣く夢を見る子の何をののかむ

みづからは隙なく君を恋ふる間に老いてし髪と誇りも為《す》べき

すそ梳《す》けば髪あざやかに琴緒《ことを》しぬ絃《いと》の手知らば弾《ひ》きに来よ風

人|怨《ゑ》じて我ぞよりたる小柱に鬢香《びんが》のこらむ其下《そのもと》に寝よ

冬はきぬ室《むろ》に夢見む春夏秋ひつじとまじる草の寝ごころ

いとかすけく曳くは誰《た》が子の羅《ら》の裾ぞ杜鵑《とけん》まつなるうすくらがりに

七つより袈裟《けさ》かけならひ弓矢もて遊ばぬ人も軍《いくさ》に死にぬ(その僧の親達に)

籠《こ》はなてば螢とまりぬ香木《かうぼく》のはしらにひとつ御髪《みぐし》にひとつ

六月の氷まゐりぬ深宮《しんきう》の白の珊瑚《さんご》のみまくらもとに

世に君の御手《みて》えて今は死なむとぞ昼夜感じ三とせの余《よ》へぬ

春のかぜ加茂川こえてうたたねの簾《すだれ》のなかに山|吹《ふ》き入れよ

五六人をなごばかりのはらからの馬車してかへる山ざくら花

森ゆけば靄《もや》のしづくに花さきしすみれ摘むとぞ名をのる子かな

紅蟹《べにがに》をさはな怖《お》ぢそねかくれたる前髪みゆれ砂山船に

磯松の幹のあひだに大海のいさり船見ゆ下総《しもふさ》の浦

絽の蚊帳の波の色する透《す》きかげに松|千《ち》もとみる有明の月

月の夜の廊《らう》に船くる海の家すだれにかけぬ花藻のふさを

春くれては花にとぼしき家ながら恋しき人を見ぬ日しもなき

十余人縁にならびぬ春の月八阪の塔の廂《ひさし》離ると

水を出でて白蓮さきぬ曙のうすら赤地の世界の中に

わが家や芥《あくた》ながるる川下も美くしと見て在《あ》りける君よ

森かげにならぶ赤斑《あかふ》の石獅子の一つ一つに熱《あつ》き頬《ほ》よる日

われひとり見まく欲《ほ》りする貪欲を憎まず今日も君おはしけり

さくら貝遠つ島辺の花ひとつ得つと夕《ゆふべ》の磯ゆく思《おもひ》

みだれ髪君を失《な》くすと美くしき火焔《ほむら》燃えたる夢の朝かな

かきつばた扇つかへる手のしろき人に夕の歌かかせまし

朝戸出《あさとで》や離宮まねびし家主《いへぬし》と隣り住むなる春がすみかな

富士の山浜名の海の葦原《あしはら》の夜明の水はむらさきにして

水こえて薄月させる花畑にあやめ剪《き》るなり戸出でし人は

責めますな心にやすきひと時のあらば思はむ法《のり》の母上

載せてくる玉うつくしき声あると夏の日すみぬわれ水下《みづしも》に

山かげを出しや五人がむらさきの日傘あけたる船のうへかな

春の夜の夢のみたまとわが魂《たま》と逢ふ家らしき野のひとつ家

傘ふかうさして君ゆくをちかたはうすむらさきにつつじ花さく

わが知らぬ花も咲かむと雑草に春雨まてる隠者《ゐんじや》ぶりかな

大机|重陽《ちようやう》すぎの父の日をしら菊さして歌かきて居ぬ

円山や毛氈《まうせん》しきてほととぎす待つと侍《はべ》りぬ十四と十五

釣鐘にむら雨ふりぬ黒谷《くろだに》やぬるでばやしの紅葉のなかに

あづまやの水は闇ゆくおとながらひけば柱にほのしろき藤

御社《みやしろ》の尾白の馬の今日も猶《なほ》痩せず豆|食《は》む故郷《ふるさと》を見ぬ

戸に隠れわと啼く声の能《よ》う化けし狐と誉めぬ春の夜の家

舞ごろも祇園の君と春の夜や自主権現に絵馬うたす人

くれなゐの綾《りよう》の袴《はかま》の腰結《こしゆひ》のあたりに歌は書かむと思へ

美くしき御足のあとに貝よせてやさしき風よ海より来るか

いつの世かまたは相見む知らねどもただごと言ひて別るる君よ

二日ありて百二十里は遠からぬ障子のうちに君を見るかな

蝶のやうにものに口あて御薬《みくすり》を吸うて来《こ》うとも思《おぼ》しはよらじ

春の月ときは木かこむ山門とさくらのつつむ御塔のなかに

遠浅に鰈《かれひ》つる子のむしろ帆《ぼ》を春かぜ吹きぬ上総《かづさ》より来て

塔見えて橋の半《なかば》はかすむ嵯峨|少人《せうじん》具して鮎くむ日かな

上《かみ》つ毛《け》や赤城はふるき牧にして牛馬はなつ春かぜの山

宿乞ひぬ川のあなたは傘さしし雨の後《のち》なるおぼろ月夜に

三本木千鳥きくとてひそめきてわれ寝《い》ねさせぬ三四人かな

橋の下尺をあまさぬひたひたの出水《でみづ》をわたり上つ毛に入る(以下六首赤城山に遊びける夏)

石まろぶ音にまじりて深山鳥《みやまどり》大雨《たいう》のなかを啼くがわびしさ

裾野雨負へる石かと児をまどひ極悪道《ごくあくだう》の旅かと思ひ

みづうみに濁流おつる夜の音をおそれて寝ねぬ山の雨かな

大剛《だいがう》の力者あらびぬ上つ毛の赤城|平《だひら》に雨す暴風《あらし》す

わが通ひ路|棹《さを》に花ある沙羅《しやら》も折れ沼《
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