ぬ》じりの家は夕日するかな

くれなゐの牡丹おちたる玉盤《ぎよくばん》のひびきに覚めぬ胡蝶と皇后《きさい》

丸木橋おりてゆけなと野がへりの馬に乗る子にものいひにけり

さざなみにゆふだち雲の山のぼる影して暮れぬみづうみの上

草に寝てひるがほ摘みて牧の子がほとゝぎす聴くみちのくの夏

みじろがず一縷《いちる》の香ぞ黒髪のすそに這《は》ふなれ秋の夜の人

春の山|比叡《ひえ》先達《せんだつ》は桐紋《きりもん》の講社《かうじや》肩衣《かたぎぬ》したる伯父かな

君を思ひ昼も夢見ぬ天日《てんじつ》の焔のごとき五月《さつき》の森に

船の灯や水蘆むらにわかれては海となりたる川口の島

大駿河《おほするが》裾野の家に垂氷《たるひ》する冬きにけらし山は真白き

夕舟やわがまろうどの黒髪にうす月さしぬしら蓮の水

とつぎ来ぬかの天上の星斗《せいと》よりたかだか君を讃《さん》ぜむために

花に寝て夢おほく見るわかうどの君は軍《いくさ》に死ににけるかな(禰津少尉の旅順二〇三高地の役《えき》に歿しけるに)

みづからの若さに酔へる痴人《しれびと》は羽ある馬に載せて逐《お》へかし

おん方の妻と名よびてわれまゐろさくら花ちる春の夜の廊

紫に春日《かすが》の森は藤かかる杉大木のありあけ月夜

秋の水なかの島なるおん寺の時鐘うちぬ月のぼる時

病む君のまゐれと召しぬおん香や絵本ひろごる中の枕に

うらわかきおんそぎ髪の世をまどひ朝暮《てうぼ》の経に鶯なくも

初秋や朝顔さける廐《うまや》にはちさき馬あり驢《ろ》あり牛あり

清滝の水ゆく里は水晶の舟に棹して秋姫の来る

ゆく春の藤の花より雨ふりぬ石に死にたる紅羽《べには》の蝶に

秋雨は別れに倚《よ》りしそのかみの柱のごとくなつかしきかな

秋のかぜ今わかかりし画《ゑ》だくみの百日《ももか》かへらぬ京を吹くらむ(西の京なる岡直道の君の追悼に)

手のわかう仮名しりひける字を笑みぬ死なむと見しは誰《たれ》ならなくに

行水や柿の花ちる井のはたの盥《たらひ》にしろき児をほめられぬ

波の上を遠山はしる風のたび解けて長くもなびきける髪

ふるさとに金葉集をあづけ来ぬ神社《みや》に土座《どざ》する乞食《かたゐ》の媼《うば》に

大馬の黒の背鞍に乗りがほの甥《をひ》に訪《と》はれぬ野分《のわき》する家

君見ゆるその時わかぬ幻境の思出ひとつ今日も哀しき

画師の君わが歌よみし京洛の山は黄金の泥《でい》して描《か》けな

白《はく》牡丹さける車のかよひ路に砂金《しやごん》しかせて暮を待つべき

おん胸の石をすべりし逸矢《それや》ともつくつく日記《にき》を見る日もありぬ

扇ふたつ胡蝶のさまに夕闇の中をよりきぬ灯のあづま屋に

菜の花の御寺も桃のおん堂も仏うまるる人まうでかな

ひがし山やどのあるじにおどされぬひひなぬすみて来しやとばかり

やはらかき少女《をとめ》が胸の春草に飼はるるわかき駒とこそ思へ

君うれし恋ふと告げたる一瞬に老いてし人をよくみとりける

あらし山雨の戸出でて大きなる舟に人まつただひとりかな

この雨に暮れむとするやひもすがら牡丹のうへを横し斜《ななめ》し

秋かぜは鈴《れい》の音かな山裾の花野見る家の軒おとづれぬ

春の雨橋をわたらむ朝ならば君は金糸《きんし》の簑《みの》して行けな

秋の風きたる十方玲瓏《じふばうれいろう》に空と山野と人と水とに

わが哀慕雨とふる日に※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]《いとど》死ぬ蝉死ぬとしも暦を作れ

川ぞひの芒《すすき》と葦のうす月夜小桶はこびぬ鮎ひたすとて

よき朝に君を見たりきよき宵におん手とりしと童泣《わらはなき》すも

まくら二尺さりて水ゆくあづま屋に螢こよなうもてはやす人

舞の手を師のほめたりと紺暖簾《こんのれん》入りて母見し日もわすれめや

あけがたの鶯ききし空耳の君がまた寝を難じて居たり

わが肩にいとやごとなき髪おちてやがて捲《ま》かれて消し春の夢

君に似しさなりかしこき二心《にしん》こそ月を生みけめ日をつくりけめ

この恋君《こひぎみ》うらみたまへどそひぶしの寝物語もさまよきほどに

野ゆく君花に聴かずや語部《かたりべ》も伝へずありし幾ものがたり

おもはれぬ人のすさびは夜の二時に黒髪すきぬ山ほととぎす

月の夜をさそへど出でずこほろぎを待つと云ふなるとなり人かな

春の月おとうとふたり笛ふいて上ゆく岡を母とながめぬ

きぬぎぬや春の村びとまださめぬ水をわたりし河下の橋

春の朝われ黒髪にたきものす鶯まゐれ目ざめし人に

炉にむかひ鼓あぶりてものいふを少女と誉めぬわれいつく母

君が妻はなでしこ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]して月の夜に鮎の籠あむ玉川の里

夕ぐれのさびしき池を
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