十八圓出さなければ成らないと云はれた時私は胸を轟かした。三圓三十五錢はもうワルシヤワの手前で拂つたのである。莫斯科で朴氏にした禮と馬車代とを使つた後で、佛貨や獨逸の錢を交ぜても二十五圓足らずより持合せがない。間違ではないかと云つて見たが何うしても二十八圓要ると云ふ。不愉快な思ひをして食堂へ出る事はしないでも好いから其れは食べない事にするとしても、何うも巴里迄は行けさうにない。かうなると何處で降ろされるかも知れないと思ふので少しでも遠い距離に伴れて行かれたい心で汽車の走るのが嬉しい。考へ拔いた揚句今夜私は伯林《ベルリン》で降りるとボオイに云つたが不可《いけ》ないと云ふ。何うしても伯林で降りるのだと云つても頑として不可ないと云ふ。荷物の關税の關係などの事でさう云ふのである。私は伯林の松下旅館で一晩泊つて翌日普通の二等車にさへ乘れば樂に巴里へ着かれると思ふのであるが、其れが出來ない事なら何うすれば好いかと、向ふ任せの氣にもなれないで胸を痛めて居た。もうアレキサンドロ※[#濁点付き片仮名ヲ、1−7−85]ウに來て居るのである。ふと目を上げると窓の外のプラツト・フオオムを横濱の英人が運動に歩いて
前へ 次へ
全14ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング