巴里の旅窓より
與謝野晶子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)意氣《いき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)皆|葺《ふ》いてある

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)各※[#二の字点、1−2−22]
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 汽車で露西亞や獨逸を過ぎて巴里へ來ると、先づ目に着くのは佛蘭西の男も女もきやしやな體をして其姿の意氣《いき》な事である。勿論一人一人を仔細に觀るなら各※[#二の字点、1−2−22]の身分や趣味が異ふ儘に優劣はあらうが、概して瀟洒《あつさり》と都雅《みやび》であることは他國人の及ぶ所で無からう。佛蘭西の女と云へば、其れが餘りに容易く目に附くので、どの珈琲店にも、どの酒場にも、どの路上にも徘徊する多數の遊女が代表して居る樣に一寸思はれるけれど、自分は矢張りコメデイ・フランセエズの樣な一流の劇場の客間《サロン》に夜會服の裾を引いて歩く貴婦人を標準として、其れに中流の生活をして居る素人の婦人の大多數を合せて佛蘭西の女の趣味を考へたい。目の周圍《まはり》にいろんな隈をとつたりする遊女の厚化粧は決して此國の誇る趣味ではない。自分は劇場や畫の展覽會の中、森を散歩する自動車や馬車の上に、睡蓮の精とも云ひたい樣な、細りとした肉附の豐かな、肌に光があつて、物ごしの生生とした、氣韻《きゐん》の高い美人を澤山見る度に、ほれぼれと我を忘れて見送つて居る。而うして、其等の貴婦人の趣味が中流婦人乃至それ以下の一般の婦人の間にまで影響して居ると見えて、隨分粗末な材料の服裝をして居ながら其姿に貴婦人の俤のある女が澤山に見受けられる。自分は是等の趣味の根柢になつて居る物が何であるかを早く知りたい。
 今《いま》姑《しばら》く自分の歐洲に於ける淺はかな智識で推し量ると、佛蘭西の女の姿の意氣で美しいのは、希臘《ギリシヤ》や伊太利《イタリイ》から普及した美術の品のよい瀟洒《せうしや》な所が久しい間に外から影響したのでは無いか。ルウヴルの博物館にある伊太利の繪と彫刻とを見た丈でも自分は然う云ふ事が想像される。其等古代の美術にある表情と線とが現に巴里の芝居の俳優の形に著しく出て來る樣に、同じく自分は其れを佛蘭西の女の日常の形に見出す氣がして成らない。其れ
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