だけあつて、高い席から見て行く街街の料理店《レスタウラン》には酒を飮んで歌ふ男の勞働者、嬉しさうに食事をして居るマリイの樣な女の組が數知れず居た。惡い氣持のしない事である。自分等は電車から降りてルウヴル宮に沿うたセエヌの河岸のマロニエの樹下道を歩いてトユイルリイ公園へ入つた。上野の動物園前の樣な林の中の出茶屋《でぢやや》で休んで居ると、傍で鬼ごつこを一家族寄つてする人たちも居た。コンコルドの廣場へ出ると各州を代表した澤山の彫像の立つて居る中に、普佛戰爭の結果、獨逸領になつたアルサス、ロオレン二州の代表像には喪章が附けられ、うづだかく花輪が捧げられてあるのを見て、外國人の自分さへもうら悲しい氣がした。花を手向けたい樣な氣もした。けれど其廻りを取卷いた人達は何も皆悄然として居るのではない。未來に燃える樣な希望を持つ人らしい面持が多いのであつた。それから自分等はシテエ・フワルギエエルの滿谷氏の畫室近くまで、また地下電車に乘つて行つたが、滿谷氏等はもう祭見物に出掛けた跡であつた。それから、カンパン・プルミエの徳永さんの畫室まで歩いて行つた。氏とは昨夜宵祭を見て歩いたのである。日本の話をした後で
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