、巴里の三越と云つてよい大きなマガザンのルウヴルの三階などに陳《なら》べられて居るので、然《さ》まで珍しくも無いであらうが、白足袋を穿《は》いて草履《ざうり》で歩く足附が野蠻に見えるらしい。自分は芝居へ行くか、特別な人を訪問する時かの外は成るべく洋服を着るやうにして居る。併し未だコルセに慣れないので、洋服を着る事が一つの苦痛である。でも大きな帽を着ることの出來るのは自分が久しい間の望みが達した樣に嬉しい氣がする。髮を何時でも剥《む》き出しにする習慣がどれ丈日本の女をみすぼらしくして居るか知れない。大津繪《おほつゑ》の藤娘が被て居る市女笠《いちめがさ》の樣な物でも大分に女の姿を引立たして居ると自分は思ふのである。丸髷《まるまげ》や島田《しまだ》に結つて帽の代りに髮の形を美しく見せる樣になつて居る場合に帽は却て不調和であるけれども、束髮姿《そくはつすがた》には何うも帽の樣な上から掩《おほ》ふ物が必要であるらしい。自分は今帽を着る樂みが七分で窮屈なコルセをして洋服を着て居ると云つて好い。
モンマルトルと云ふのは、山の樣に高くなつた巴里の北の方にある一部の街で、踊場や珈琲店《カツフエ》、酒場
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