あつた。里に預けて置いた三番目の娘が少し病氣して歸つて來た。附いてる里親の愛に溺れ易いのを制する爲めに看護婦を迎へたりして其兒に家内中が大騷ぎをして居る中へ、四歳になる三男の麟《りん》が又突然發熱した。叔母さんも女中達も手が塞がつて居るので書齋の自分の机の傍へ麟を寢かせて自分が物を書きながら看護して居た。温厚しい性質《きだて》の麟は一歳違ひの其妹よりも熱の高い病人で居ながら、覗く度に自分に笑顏を作つて見せるのであつた。而して無口な子が時時片言交りに一つより知らぬ讚美歌の「夕日は隱れて路は遙けし。我主よ、今宵も共にいまして、寂しき此身を育《はぐく》み給へ」と云ふのを歌ふのが物哀れでならなかつた。自分はそんな事を思ひ出しながら歩くので、巴里の文明に就いては良人が面白がつて居る半分の感興も未だ惹かない。過去半年に良人を懷ふ爲に痩せ細つた自分は、歐洲へ來て更に母として衰へるのであらうとさへ想はれる。
 日本服を着て巴里の街を歩くと何處へ行つても見世物の樣に人の目が自分に集る。日本服を少しく變へて作つたロオヴは、グラン・ブル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]アルの「サダヤツコ」と云ふ名の店や
前へ 次へ
全7ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング