餘裕がない。ひたすら良人に逢ひたいと云ふ望で張詰めた心が自分を巴里へ齎《もたら》した。而《さう》して自分は妻としての愛情を滿足させたと同時に母として悲哀をいよいよ痛切に感じる身と成つた。日本に殘した七人の子供が又しても氣に掛る。自分が良人の後を追うて歐洲へ旅行するに就いては幾多の氣苦勞を重ねた。子供を殘して行くと云ふ事は勿論その氣苦勞の一つであつた。其れが爲め特に良人の妹を地方から來て貰つて留守を任せた。子供等は叔母さんに直ぐ馴染んで仕舞つた。叔母さんからの手紙は斷えず子供等の無事な樣子を報じて來る。手紙を讀む度にほつと胸を安めながら矢張り忘れることの出來ないのは子供の上である。
 巴里の街を歩いて居ると、よく帽に金筋の入つた小學生に出會ふ。其れが上の二人の男の子の行つて居る曉星小學の制帽と全く同じなので直ぐ自分の子供等を思ふ種になる。ルウヴルの美術館でリユブラン夫人の描いた自畫像の前に立つても其抱いて居る娘が、自分の六歳になる娘の七瀬《ななせ》に似て居るので思はず目が潤む。自分はなぜ斯う氣弱く成つたのかと、日本を立つ前の氣の張つて居たのに比べて我ながら別人の心地がする。
 四月の半で
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