非人道的な講和条件
与謝野晶子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)背《そむ》いている

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)のびのびし[#「のびのびし」に傍点]た
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 政治家や実業家は便宜主義を重んじる習慣の中に生きています。便宜主義は一時的のものです。それが必ずしも正義と一致して永久の価値を持っているとは限りません。否、むしろ正義に背《そむ》いている場合の多いのが便宜主義の特色です。
 現代では、便宜主義の習慣から解放されていると否とで、真の政治家であるか、真の実業家であるか否かが判断されます。目前の功利さえ挙げれば、その行為が道理に合っても合わないでも構わないという態度は時代遅れです。
 政界や実業界には、こういう時代遅れの態度を持った人たちがまだ全く勢力を占めています。彼らは個人的にも国家的にも、唯だ利己主義的な欲望さえ満足すれば好いので、それ以上の高遠な理想を持っていませんから、正義は要するに鬼の空《から》念仏であって、実際に利己主義を貫徹するためには、如何なる厚顔無恥な手段をも採り、正義に対する反省も、自己の食言《しょくげん》に対する羞恥も、全く思料《しりょう》の外に抛擲《ほうてき》してしまいます。
 昔から便宜主義に反対する者は学者と芸術家です。世を挙げて目前の利害を追うに急であっても、せめて学者と芸術家だけは便宜主義の習慣から超越して、常に正義人道の主張者であり擁護者であって欲しいと思います。それでこそ思想家や詩人は人類の指導者たることも出来、進化して止まない人文生活の冒険者たることも出来るのです。
 私は今日まで人道平和の理想を基礎としかつ国際連盟を前提とする講和会議を期待していました。かつてウィルソンの十四カ条を読んだ時から、今度の講和は従来のそれとは全く異って、――戦勝的国家と戦敗的国家との間に、一方は強圧を以て望み、一方は屈辱を以て対するという関係でなく、――連合国側の人民と独墺側の人民とが互に敵味方の国境的、階級的、差別的、尊卑的の感情を忘れ、戦勝者の持つ復讐心《ふくしゅうしん》や侵略思想を綺麗《きれい》さっぱりと抛《なげう》ち、戦敗者の持つ自卑自屈と僻《ひが》みとを一切捨て去って、愛と正義と自由と平等との中に、どの国民もねたみ恨みなくのびのびし[#「のびのびし」に傍点]た文化主義的
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