も買はないのである。国府津で新聞だけは黙つて居ても売つてくれないかとさう思つて、列車の端に出て行つて懐中の紙入に手を掛けながら立つて居たがその儘汽車は動き出した。こんなのであるから家へ帰つても行かねばならない家へも行かないで、書かなければならぬ手紙も書かないで居るのであらう。やつぱり八時半頃に新橋へ来た。修さんと桃が来て居てくれた。不思議にいろいろと私がものを云ふ。
『麟坊ちやんが少し悪くてね。』
『まあさうなんですか。』
とわたしが云ふ間もなく、
『じふてりやでね、軽いのですがね。』
と修さんは云つた。わたし等三人は早足で車寄へ出た。修さんは麟の容体は注射をした後であるから少し熱があるかも知れないが案じるには及ばないと繰返し繰返しわたしに云つて、それから電車で役所へ行つた。車に乗つたわたしは末の男の子の病気を思ひ懸けずに聞いて混乱した頭の横で、何故今朝桃はいつものやうに水際立つて綺麗な顔には見えなかつたのであらうとそんなことを物足りなく思つて居た。車夫が握拳で突いたら閉つた門が左右に開いた。隣の家の玄関から七瀬と八峯が出た来た[#「出た来た」はママ]。茶の間の横の四畳半に寝た麟はコオ
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