つた以上、良人との愛情の交感がなくても、唯だ良人との抱擁さへ續けて居ればそれが貞婦であつて、さう云ふ意味の貞婦たることを社會から強要されて居ります。甚しきは愛情も性交も斷えて居て、それに由來する絶大の苦悶を續けながら、幾十年の間良人と同棲して家政を取り、小兒を養育して居ると云ふ女が貞婦として稱讃され、或は愛情は他の男に向つて居ながら性交を良人以外に許さないと云ふだけで、貞操ある妻として世間から目されて居ると云ふやうな事實が無數にあります。
貞操は女にのみ守ることが出來る道徳で、男には生理的關係がそれを許さないと云ふやうなことも聞きます。男に守れないと云ふことは貞操が人間共通のものであるべき道徳としての資質を最初から備へて居ない一證ではないでせうか。
若し生理的關係を云ふなら、女にも性欲衝動のために危險な時期がないとは云へないでせう。また生理的關係ばかりでなく、男も女も愛情のためからは勿論、再婚して新しい境遇を開くと云ふやうな關係から却つて處女として寡婦としての貞操を守らない方が幸福な場合も現に多いのです。
如何なる場合にも一律に實踐しようとすると幾多の矛盾が生じます。實際生活
前へ
次へ
全12ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング