奴隸となり、一種の物質となつて、一方に買はれて居る状態です。男が富家の聟となることの外は、女の方が衣食の保障を得るために一種の賣淫を男に向つて行つて居るのが現在の結婚です。かう云ふ結婚から成立つた夫婦に向つて靈肉一致の貞操を期待するのは夫婦の何れに向つても苦痛を與へ、虚僞を強ひるものではないでせうか。
現在ではまだ奇蹟のやうに思はれて居る戀愛結婚が生活理想の急轉に由つて遍く實行される時代が遠からず來るとしても、人の心は固定して居ないのですから、其戀愛が自然に解體する機會が生じないとも限りません。熱烈な愛情の上に結ばれた夫婦生活が必しも永久に一致を續けて居なかつた例は昔から少くないことです。さうすれば戀愛結婚もまた貞操道徳の巣では無いやうに思はれます。
貞操に對する私の疑惑は大體右の通りです。
道徳は如何なる場合にも矛盾のないものでなくてはなりません。また努力してそれを實踐することに多少の苦痛は伴つて居ても、其苦痛に勝るだけの快感を持ち來すものでなくてはなりません。なぜなら私達の要求して居る今後の道徳が、人間各自の生活をより眞實に、より自由に、より正確に、より幸福にするための自
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