忘れ去るべき人であると自分の理知が命ずる儘に違背しようとはして居らぬが、自分の感情の殆《ほとん》ど全部はまだその恋が占めて居る。楽しい夢を見た良き朝の目の覚めぎはの気もちとも云ふやうな、半睡時の甘美さと重苦しさを感じる者は自分であると云ふのである。約束された覚醒が近づいて来るのを恐れて居るのでもないのである。相当に複雑な気もちがよくも短く表現が出来たものであると私は思ふ。昨日と云ふ言葉なども簡単に使つてあるのではない。
[#ここから2字下げ、22字詰め]
とばりより君覗くなり水色の矢車草《やぐるまさう》を指にはさみて
[#ここで字下げ終わり]
 自分が下を通つて行く時に窓のカアテンの間から恋人が外を覗いて居た。水色の矢車の花を指と指の間に狭みながらと云ふのであつて、是れは日本婦人の習慣に其れ程無く、異国の婦人には有り勝ちな媚態を作つて居たことが思はれる。巴里の宿の前の庭に矢車草の沢山咲いて居たこともこの歌から私は目に見えるやうに思はれる。
[#ここから2字下げ、22字詰め]
もろともに花をかざして若き日はまたなしとしも歎きつるかな
[#ここで字下げ終わり]
 是れも同じ人を追想し
前へ 次へ
全48ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング