ここの「我が」は自分が愛して居るのではなく、作者の西鶴が愛して居ると云ふ意)が相手にした多くの女達はどれも空の流星の如く世の介の目に一時的な光を投げ得ただけの価値よりないものであつて、次次ぎに消えて行つたと取り為すべきであらう。彼れをして終生変らぬ執著を持たしめる女は無かつただけで、必ずしも世の介を軽薄と云ふべきでないと云つてある。作者の自己弁護が少しは混つてゐるかも知れない。
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自らを愛づるこころに準らへてしら梅を嗅ぐ臘月《らふげつ》の人
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早く十二月に咲いた白梅の花の香を自分自身を賞美すると云ふのに近い気持ちで嗅いで居る。自分は白梅の清香に類したものを内に蔵して居るから殊更この花を愛すると云つて居るのであつて、人は作者自らである。
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地の上に時を蔑《な》みする何物も無きかと歎く草の青めば
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この大地には自然が押しつけて約束したことに違背する勇気のあるものは何も無いのであらうか、とこんなことを自分は春になつて、毎年の例のやうに若草が青む時に思ふと云ふのであつて、何事
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