で猶《なほ》何度か見たと云つてゐた。私は以前に小山内薫氏の訳で読んで筋を知て[#「知て」はママ]ゐたから、この芝居は割合楽に見物することが出来た。故人もさうであつたであらう。エルナニは恋敵に或る不始末を見られた贖《あがな》ひとして、何時でも望みの時に命を遣らうと云ふ約束をしておいたが、大詰の城内の結婚式後の宴会の場で、命を望む時に吹かれることになつてゐる角笛の音がして来る、相抱いて恐怖に慄《おのの》く新郎新婦の前にやがてその老人が現れて来て、命を受取ると云ひ、二人は苦悶しながらも毒を飲んで死んで行くのであるが、西斑牙の昔ばかりでなく、かうした禍ひに我我の運命もしばしば脅かされることを作者は歎いてゐるのであつて、恋と云ふ言葉はあつても、其れは幸福と云ふのに代へてあるだけで恋の歌ではない。
[#ここから2字下げ、22字詰め]
磨かんとして砕けたるそののちは玉の屑《くず》ぞと云ふ人も無し
[#ここで字下げ終わり]
磨かうとして過つて砕いた玉に相違ないが是れが玉の屑であつて、小石ではないことを誰れも認めようとしない。曇つたままで置けば玉であることは疑はれなかつたであらうがと作者は思つて云つて
前へ
次へ
全48ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング