居るらしいが、意地の悪い世間は必ずしもさうとは云はなかつたであらう。不幸な作者よ。
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人の見て沙の塔とも云へよかしはかなき中《なか》に自らを立つ
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好意を持たぬ人間から、是れは永久性のない沙の塔であると云はれても構はない。貧しい生活はしながらも独自の人生観を芸術に托して云はうと努める者は自分であると云ふ歌。
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我が玄耳蘭を愛することをしぬ遠方《をちかた》びとを思ひ余りて
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故人澁川玄耳氏が山東省の青島に居られた頃に、愛養の百種の蘭を写真にして送られた。玄耳子は愛人を東京に置いて行つて居られたのである。この場合の「我が」には我が親愛なると云ふ意が含められてある。「我が君」、「我が国」、「我が妻」も単に自分のと云ふだけではないのである。近来は「吾子《あこ》」と言葉を無暗《むやみ》に使用する人もあるが、あれはまた「可愛いい子よ」と呼び掛ける言葉であつて、源氏の中の会話に「あが君」と云つてある所は殊更媚びて云ふ必要のある場合に限られてある。自尊心のある男女の会話には無い。調子
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