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工場に汽笛は鳴れど我れを喚ぶ声にはあらず行く方も無し
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 作者はまたしよんぼりと街を歩いて行く。この時に近い工場で作業の初まる汽笛が鳴つた。然《しか》し其れは自分に向つて呼びかけてくれたものではない。同じ道を今日まで同一方向に歩いて居た男女は、今の音のため皆多少の血の気を頬に上らせて居るが、相変らず何処へ行つてよいか目的無しに自分は歩くばかりであると云ふ歌。
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知らぬ人われを譏《そし》ると聞くたびに昔は憎み今は寂しむ
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 自分をよく知らない人が自分を譏つて居る噂などを聞くと、昔はよく腹が立つたものであつた。今はそんな時にも怒る気にはならないで人生の寂しさをいよいよ深く思はせられるだけである。
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くれなゐの秋のひと葉を手に載せぬ若返るべきまじなひのごと
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 真赤に染まつた紅葉の一片を自分は手に載せてゐる、大切に大切に思はれて長く捨て去ることが出来ない。かうして居れば青春が返つてくるまじなひかのやうにと云ふのであるが、葉は楓でなく柿の葉では
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